大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長野家庭裁判所上田支部 昭和31年(家イ)13号 審判 1956年4月09日

申立人 石田ミツ子(仮名)

相手方 中村一郎(仮名)

主文

本件申立を棄却する。

手続費用は申立人の負担とする。

理由

本件記録によると申立人は昭和二十年終戦後精神薄弱となり家業である農業に従事することができず、同二十三年○○月たまたま当時北満開拓団員として家族五人と別れて引揚げ、親類の世話になつていた相手方と事実上夫婦として同棲し、相手方は爾来申立人の農事に励げみ、その間翌二十四年○月○日正治出生したところ、生死不明の相手方妻富江が同二十八年○月満洲から引揚げて来たため申立人と無一物で離別し、居郡○○町○商会工員となつて翌二十九年一月から肩書地で富江と夫婦として同棲することになつた。そこで申立人は相手方に対し翌二月十一日当裁判所に前記正治の養育料請求の調停の申立をし、同事件(同年(家イ)第一五号)の調停委員会において同月二十日正治の扶養料月額千五百円を請求したのに対し、相手方が月額三百円しか支払うことができないと申出でたのを同調停委員会の斡旋によつて相手方は正治の養育料として翌三月から同人が義務教育を終るまで毎月金千円宛その翌月十日までに申立人加入の農業協同組合の口座に払込むこと、当事者双方は上記の外従来の内縁関係にもとづいて何等財産上の請求をしない旨の調停が成立した。ところが申立人は同三十一年二月十三日上記正治が同年四月から小学校に入学することとなつたから、申立人は前記養育料月額千円を二千円に増額の本件調停申立をしたので、調停委員会を二回開いたが、申立人において月額千五百円まで譲歩したけれども相手方はこれに応じなかつたので、調停が成立しなかつた。ところが申立人は現在精神薄弱者で、その毋まりのみによつて正治及び唖の妹サチ子の四人家族の生計を維持しており、田一反三畝歩と畑二反歩を耕作する外春秋二回に十グラム宛の養蠶に従事しており、○町役場調査の所得額によると前記調停成立当時の年度は不作のため四万二千九百円であつたが、翌三十年度は約七万五千二百三十二円(政府売渡米を含む)あつて、その家族の構成稼動能力や耕作反別から見て弱少農家で、正治が小学校に入学すれば学用品、給食関係費のみで新に年額約四千五百円を負担しなければならないこと、これに対し相手方は同二十九年一月から衣類、寝具、家財もなく無一物で妻富江と肩書地に家賃二百円で同棲することとなつたが、前記調停成立当時の勤務先からの同年度の給与所得は十一万二千九百十円であつて、翌三十年年度の給与所得は十二万八千四百二十二円となり、僅かに増収となつているが、殆んど最低生活に近い収入から前記調停成立以来該調停条項に従つて正治の扶養料を支払つており、同三十一年二月には正治に対し通学服、学帽、ランドセル、その他学用品(約二千円相当)を買い与えたこと、前記扶養料は長期にわたるものであるから、現在更に一定額を増額することは不可能であるが、余裕あるときは正治に小遣銭位を与えたい意思あることがいずれも本件記録で認められる。以上の事実に徴せば勿論当事者双方の最低生活は保障されなければならないし、亦正治の新な教育費のことも考慮されなければならないが、同二十九年二月前記調停成立後二年を経たに過ぎないこと、その間当事者双方ともその収入が僅かに増加していること、申立人は現金収入こそ少いが一応農家として最低生活の安定を得ていること、相手方には未だその家族生活を維持した上更に財政的余力を生ずる程度の事情変更があつたものとは認め難いので、申立人は須らく同情に富む相手方及びその妻富江の法律の規定を越えて引続いて扶養するであろうと認められる期待をかけ、将来相手方の更に財政的余力の生ずる時期を待つべきである。よつて現在本件扶養料を増額すべき事情変更の域に達していないので、主文のように審判する。

(家事審判官 山口昇)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例